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西日本武道高校・異国風土記①   byこさっぺ

第1話『忍ぶ思い』


 青い空。
 白い雲。
 見渡すかぎりに広がる、霧のたちこめる山々。
 その頂上に、牙城のごとくそびえ立つ、和風の校舎。
 いつもとなんら変わらない、朝の風景だ。
 山のふもとにある男子寮から、急勾配の長い石階段を一気に駆け上がってきた俺は、少しも息を乱さないまま、堅牢な校門をくぐった。
 校舎の裏手にある女子寮から現れた女子生徒たちは、平和な笑い声をたてながら、おしゃべりをしたり、勉強の本を開いたりして、思い思いに歩いている。
 昇り始めた暖かい陽光が、俺の金色の前髪をすかして、まぶしく輝く。本当は色素が薄いから、太陽の光は苦手なんだ、俺は。
 ふと、色めきたつ女子たちの気配を感じて、空から視線を下ろした。
 前方を見ると、見慣れたうしろ姿があった。凛とした姿勢で、腰には真剣を差している。あれは――

「「沖本先輩、おはようございます!!」」

 女子たちが集団になって前に立ちはだかり、1人の男子生徒へ、歓声のような挨拶を発している。
 その、凛としたうしろ姿の男子生徒――同じクラスの親友・沖本健太は、小さく言葉を返したようだった。
 女子たちは、なにか美しいものを見て感動したかのように頬を赤らめると、きゃー、と叫びながら散り散りに走り去っていった。
 これもまた、いつもと変わらない光景だ。
 俺はちょっとしたイタズラ心で、足音をたてずに、凛としたうしろ姿の親友――沖本の背後を、ぴったりついて歩いた。
 沖本が靴箱をあけて、中に入っていた紙片がひらりと落ちると、地に着くまえに空中でつかみ、すばやく中身を読む。ラブレターだ。笑いそうになるのをおさえて、わざと感心したように話し掛けた。
「相変わらず人気だな、”沖本先輩”」
「野上。…見てたのか?」
 サラサラと艶めく黒髪の奥から、切れ長の澄んだ瞳が、じろりとのぞく。
 俺は悠々と、極太の毛筆で[野上裕也]と書いた靴箱をあけて、バンカラめいた厚底の下駄を履いた。
「目撃者は不特定多数、だろ?」
「まぁ、な」
 そう言って嘆息する横顔すら、憂いをおびて、さまになっている。
 沖本健太。こいつは、西日本武道高校きっての正統派王子だ。
 若武者みたいな、整ったキレイな顔をしている。長身の細い体には、実戦向きの筋肉がほどよく付いている。今流行りの、細マッチョってやつだ。
 沖本流剣術本家の御曹司で、剣の腕は一流。全校女子生徒からのモテっぷりは爆発的で、その姿は白馬に乗った王子様とも、天馬を駆った若武者様とも呼ばれているのだ。この、クールぶった美剣士クンが。
 俺の横目を気にもせず、沖本は受け取った手紙を見つめながら、つぶやいた。
「話したこともないのによく書けるなぁ」
「何だ、沖本は一目惚れとかしたことねぇの?」
 沖本は、う~んと考えこんでしまう。清廉潔白な剣士クンには、思いもかけないことかもしれない。けれど――

 俺は、ある。

 思い出すのは、風に舞って輝く、プラチナブロンドの長い髪。
 深い湖を映したような、青緑の瞳。
 か細いけれど芯の強そうな、彼女の……
 考えるだけで、胸に甘く激しい思いが溢れてくる。俺は落ち着こうと、胸に手をやって、深く息を吐いた。

 俺たちは、同じ2年ろ組の教室まで歩いていった。
 騒がしい教室の戸を開けると、中から沖本めがけて、勢いよく野球ボールが飛んできた。やばい、速すぎる。守れない!
 瞬間、裂帛の気合で抜かれた真剣が、沖本の眼前で球を一刀両断した。2つに弾け飛んだ硬式球は、運悪く、傍で騒いでいた山田に当り、彼は床に突っ伏した。
 俺はすばやく、教室内に視線を走らせた。今のは流れ球か?
「沖本すげえ!」
「俺のボールがっ」
 いや、違う。教室の後ろで、まっぷたつに割れたボールを嘆いている、野球部のエース。あの剛速球は、アイツが狙って投げたものだ。
 野球部の左腕エース、壮田流星。男らしくてカッコイイと、女子にはなかなかの人気だ。だがあいつは沖本に、ささやかな敵対心を持っている。
「危ないな」
 沖本が何でもないようにつぶやく。
「お前もあんまり変わんねぇよ」
 俺は軽口をたたくが、腹の底では、壮田に対する警戒を強めていた。
 今日のところは大事には至らなかったが、これ以上のことをするようなら……

 その時、保険医を求めて騒ぐ生徒たちの奥から、華やいだ女が現れた。
「呼んだ?」
 ラベンダーの香り。男子生徒たちが急に、そわそわといずまいを正す。
 新任保険医の、糸真弓先生だ。
 グラマラスな胸元や太ももが、白衣からはみ出すのもかまわず、倒れた山田を抱き起こし、額を冷やしている。
 噂には聞いていたが、間近で見るのはこれが初めてだ。近くにいると、溢れるフェロモンと、豊満な体の迫力に意識が吸いこまれそうになる。これが、校内の男たちを酔わせているのか。
「…誰だ?」
 沖本が、不安そうに聞いてくる。評判の美人教師を知らないこいつの疎さに、いいかげん驚いた。
「真弓先生だよ。新しく来た先生。知らないのか?」
 素直に首を振る沖本に、俺は仕入れた極上の情報を教えてやった。
「フルネームは糸真弓。真弓先生って、苗字じゃなく名前で呼んでるのは、本人が1年女子の保健体育の授業中に、『みんな、そう呼んでね』って言ったからだ。27歳、独身。なにわ大学病院の院長の娘で、整形外科医を目指したが『内面の美』とやらに目覚めて、心理カウンセラーの資格をとって、父親にこの学校の理事長に口利きしてもらって、4月から赴任した。この妖しい色気とアネゴ肌で、男子生徒や男教師からだけじゃなく、女子生徒からも人気急上昇中だ。ちなみに、ウエストは58センチだぜ」
 本当はバストが94で、ヒップが88という情報も入っているのだが、こいつはウブだから、言うのはやめておこう。
「どこで仕入れるんだよ、そんな情報」
 赤らむ顔をそむけて、あきれるように沖本が言う。馬鹿、忍びが情報収集してなくてどうする。
 教えた甲斐もなく、沖本は俺の言ったことを、半分も理解していないようだった。

 朝にはひと騒動あったが、今日の授業は退屈なものだった。古文に始まり、数学、日本史、華道。だから午前中は全部フケて、午後の忍法の授業から出席していた。
 でも、この老人教師が忍術の古文書を読み上げると、まるで経文を聞いてるみたいで、眠くなっちまう。まるで妖かしの術だ。その中でも、真剣に勉強したい部分だけはひろい聞いて、ノートにペンを走らせる。

 この学校は、武道をこころざす者が集まる、全寮制の高校だ。
 学科は、
 剣道科、
 弓道科、
 柔道科、
 忍法科、
 兵法科、
 陰陽科、
 茶道科、
 華道科、
 舞踏科、
 香道科、……などがある。
 ふだんは学科に関係なく、同じ教室で授業を受けているが、日によって専門別のカリキュラムを受ける。
 戦後に開校したこの学校は、中高一貫校で、日本でも珍しい、和の求道者が集まる学校だ。昔は武道を極める汗臭い男しかいない男子校だったらしい。10年前に、華道科や茶道科をつくって共学にしてくれたのは、ありがたいことだ。
 全国の各地域に“支校”があって、大学は“中央”の日本武道大学1校。
 その所在は、どこも落ち武者の隠れ里のような所にあって、明らかにはしていない。とにかく、ケータイすら通じないくらいの山奥だ。
 通っている生徒は、名だたる道場の人間から、ちょっとした和風趣味の奴まで、色々だ。意外とフツーな奴が多い。
 表向きの“開校の精神”では、――戦後、弱体化した日本の若者を武道で鍛えあげ、日本文化の教養を伝えるため――とか謳っている。校訓はもちろん、「文武両道」だ。
 だその実態は、政府より、校内の武装が特別に許可された、自衛隊や警察学校に準する武術者育成機関、”特別公立校”なのだ。
 この高校の校長も、政府と裏で色々とつながりがあるらしい。
 世間では、「よくわからないけど、野球部とか武道系の強い学校」と、畏怖の目で見られることも、ままある。

 ただ、そんなことは俺にはどうでもいいことだった。
 俺には目的がある。
 俺が、全寮制高校の忍法科で毎日学んでいるのは、絶対に果たしたい、野望があるからだ。
 古文書を読む老先生の声は、いよいよぼんやりと響いて、俺の思考は過去へ引き戻されていく。

 俺の母さんは、甲賀の里に住む忍術家たちをたばねる、甲賀流忍法宗家のくのいち、女忍者だ。
 母さんは昔から厳しかった。幼い頃から、俺はあらゆる忍術をたたきこまれた。でも、やさしい笑顔や、ねぎらいの言葉をかけてくれることはなく、父さんのことをきいても、そんな人間はいなかったかのように振る舞われた。
 山里の古い屋敷の中で、母さんがいない時、俺は1人きりで泣いた。ただ寂しくて、苦しくて仕方がなかった。
 どうして母さんはいつも怒っているのか。どうして、父さんはいないのか。
 本当は知っている。何を探さなくても、俺の瞳の色が、髪の色が、肌の色が教えてくれた。
 父さんは、外国人だ。そして、ここにはもういないのだ。
 だから母さんは怒っているんだ。だって母さんは、いつもとても寂しそうだから。
 今思えば、母さんは、父さんのような顔立ちをした俺が、憎くて仕方なかったのかもしれない。でもだからといってそれが、俺が母さんを憎まないでいられる理由にはならないだろう。俺は母さんが憎かった。
 母さんは俺を、歳の離れた同居人ぐらいにしか思っていないように接し、家のあとを継がせて甲賀流忍法の伝統を守るための、コマとしてしか見ていないようだった。
 母さんが何より大事にしていたのは、甲賀流忍法の格式と伝統だった。
 だから俺は、それを継いでやる気はさらさらない。
 今や忍術は、伝統芸能のような“型式”になって、実戦性をともなわず、やっているのは観光客相手の大道芸だ。そんなことをして、甲賀の里を守る気なんて湧きもしない。
 忍者は滅んだのだ。母さんが夢に見ている、甲賀流忍法の伝統は、とっくの昔に消えた幻なのだ。
 日本が他国のスパイたちから何と言われているか知っているのか。――忍び亡き国――スパイたちの治外法権と馬鹿にされている。母さんは……忍術家たちは悔しくないのか。
 俺は本物の忍者になってやる。現代に生きる真の忍び、世界を駆けめぐる日本のスパイとなって、緒外国から日本を守る隠密になってやる。そのためなら、この異邦の容貌も…父親の血も役に立つ。
 母さんの望む、里の伝統芸能の忍法宗家は継いでやらない。異人の子と馬鹿にしたやつらにも復讐してやる。
 俺が甲賀一族を、日本を変える忍びになってやるんだ。

 午前中の授業も、ただサボッていたわけではない。山間を走ったり、森の中で体術の特訓をしていた。それでも先生にあまり文句を言われないのは、校風もあるが、成績が優秀だからだ。
  そう、俺は忍術や体術、馬術から茶の湯まで、忍びに必要な専門分野では、学内でも突出した成績をあげているのだ。諜報活動、スパイに必要なあらゆる知識だけじゃない。力や技、速さなど、身体能力も他の追随を許さない。
 対抗できるのは……沖本くらいか。

 チラリと、ななめ前の席に座る、沖本の背を見やった。後ろ姿からも、涼やかな気配が感じられる。
 そう、こいつこそ寮生活者がほとんどの中、家から通ってくる裕福な生徒の1人だ。そして、俺のたったひとりの親友。
 俺は自分の心の醜さを自覚してる。俺は陰の者、ダークサイドの人間だ。
 人前では明るくふざけて、誰とでも親しいような顔をしているけれど、本当の友人はいなかった。孤独に慣れすぎて、どこか心は病んでいたのかもしれない。
 沖本は初めてできた、本当の友達だった。入学して同じクラスになった時、こんなキレイな人間がいるのかと驚いた。これぐらい完璧な奴になると、常人とは見えてる世界や、感覚が違うのではないか。キラキラした星の世界に住む、王子さまってやつかと思った。
 でも同時に、ルックスや性格、家柄まで、すべてが整った彼の中に、俺と同じ「“家”を超えた何かをめざす孤独」を、見つけた気がした。俺は、今までひとりで孤独だったもうひとりの自分に再会したような、なつかしい気持ちになったんだ。俺たちは入学した初日から、驚くほど打ち解けて話をすることができた。
 うれしかったんだ。自分と同じものを持つ人間が、光の世界に住むキレイな姿で、清らかな心で、優しい両親の元、家を継ごうとがんばっている。それは、自分がなりたくてもなれなかった姿だから。俺が憧れを求め続ける限り、あいつへの憧憬は消えないだろう。
 俺はこいつが好きだ。沖本と親友になれたことで、俺はずいぶん救われた気がする。もしかしたらこれは、歪んだ友情なのかもしれない。でも、俺は決めたんだ。こいつの純粋でキレイな心を、守り抜いてやりたいと。俺はこの若い剣士の、忍びにもなろうと。俺はケガレた陰だけれど、こいつを光の世界で、存分に輝かせてやりたい。

 俺の強い視線を感じたのか、沖本が小さく振り返って、じっと俺を見つめていた。どこかぼんやりして、考え事をしているようにも見える。俺は懐から一直線に、カツッ!と棒手裏剣を投げた。机に刺さった棒手裏剣に、沖本は驚いて俺を凝視する。
「見てんなよ、エッチ」
 にやっと笑ってからかうと、沖本は端正な顔をくずして、あきれたように棒手裏剣を俺の机にまっすぐ投げ返した。まったく。俺がコレをまっすぐ投げられるようになるの、どれくらいかかったと思ってんだよ? 優秀な天才クンは困るぜ。そう思いながらも、何とも楽しい気分が、俺の心をくすぐった。

 鐘が鳴って、終わりのホームルームを待つ教室の中は、騒然としていた。
 俺はいつも、教室の話題の中心にいることが多い。それは情報を集めるためでもあるし、そのためのサービスは惜しまないからだ。
 今日も俺の席の周りには、かわいい女の子たちが集まっていた。
「ほーら、じゃあ君の選んだカードを、このかぶとの中にいれてみよう。どうなるかなー」
 女の子たちのきらめく瞳が近づく。かわいい女の子たちは嫌いじゃない。自分がモテているという事実は、気分がいいことだ。女子たちに俺がどう呼ばれているかも知っている。西武高の、“天狗王子”――
 ボンッ! とたちまち白い煙がたちこめた。かぶとの中からぼんやりと現れたのは、色とりどりの薔薇の花だった。たちまち歓声があがる。
「キャーッ! すごーい!」
「きれいな薔薇……」
「君たちをイメージしたら、こんな花が出てきました。実は、タネも仕掛けもあるけどね」
 いたずらっぽくウインクして、一輪ずつ女子に手渡す。手品はお手の物だ。小手先技も忍術のひとつ。普段からこうやって、指先を柔軟にするため、人に見せて鍛えている。まあ、女子と交流する目的もあるが。
「明日の華道の時間に使ってもいいかな?」
「裕也くんって、ホント器用だよねー。何でもできるもの」
「あれ? 裕也くん」
 1人の女生徒が、何かに気づいたように俺の目をのぞきこんだ。
「それってカラーコンタクト? うすい青色だよね。きれい……」
自分の目元に手をあてる。ほんのり青みがかった、薄茶色の瞳。こう聞かれるのも、慣れてしまった。
「うん」
 と華やかに微笑んで答える。本当は裸眼で2.0以上ある。いいさ、俺は髪を金に染めて、カラーコンタクトをしている、派手な傾き者ということにしておく。情報操作も、忍び術のひとつだ。
「おいっ、裕也! 俺の防具を勝手に使うなっ。お前はなんでいつもそう……」
 ついに沖本が、自分の剣道着が手品の道具にされていると気づいたらしい。怒りながら、面かぶとを奪いにくる。
「あっ、バレた~? 使い勝手いいんだけどなー、このお面」
「なにバカなこと言ってんだ、返せこの……」
 丸い面防具を、バスケッドボールよろしく、胴まわりを回して沖本に触らせない。2人でじゃれている様子を、周りの女子たちがクスクス笑って見ている。
 そこへ、異質な声がした。
「ねえ、ちょっと」
 廊下側の、窓の外だった。
 きつい化粧の大人びた女子が、窓枠にしなだれかかっている。馴染みの顔だった。
 周囲の視線が集まる中、俺はかぶとを置いて、飄々と歩いて行き、窓枠に座った。
「どうしたんだよ」
「話があるの。ちょっと……出れない?」
 彼女は俺に身を寄せて、手を触ってくる。俺は彼女の長い髪を耳にかけてやりながら、その耳元にささやいた。
「重要な話か?」
 彼女の唇が、薄い笑いをかたどる。
「そうよ。お願い」
 俺はちょっと考えて、教室を出ることにした。
 クラスメイト達が遠巻きに見守る中、俺たちは悠然と教室を後にした。

 屋上は、夕暮れに傾きかけた太陽が、ほの赤く降りそそいでいた。
 校内はホームルームの時間。屋上には、2人しかいない。
 彼女が鉄柵に背をもたれて、俺を見つめていた。風に揺れる長い髪と、目鼻立ちの華やかな顔は、夕日に映えて美しかった。
「で? 何の話だ」
 俺は彼女の隣で鉄柵にひじをつき、夕日にけぶる遠くの山々を見つめた。こうしていると落ち着く。俺は山の上から、遠くの景色を見つめるのが好きだった。
「PTAのママが言ってたわ。校長が最近、学生の就職先に企業ばっかり薦めるようになったって。前は警察とか自衛隊ってうるさかったのに」
「へえ……。どんな企業だ?」
「それが、体力のいる仕事ばっかりなのよ。警備系とか、工業系とか。探偵事務所もあるけど……。あなた、校長の話を聞きたがってたから」
「ああ。校長もようやく、新しいパイプを持ったかな」
 うつむいて、俺は頭をめぐらす。隣で化粧の香りを放つ彼女が、じっと俺の横顔を眺めていた。
「……もっと、女の子のことも考えてほしいわ」
「女子はお嬢さま大学に行けばいいだろ」
 彼女は意味深に笑った。
「あら、組織で働きたい人間もいるのよ」
 彼女――忍法科3年、望月霧香は、伊賀忍者を祖にもつ、くのいちの末裔だという。流派やくわしいことは知らないが、情報提供には好意的だ。俺が、流行や噂に詳しい女子たちとつながりをもっているのは、情報を仕入れるためでもあるのだ。
「あとね、最近、女子たちの間で、山のふもとにいるおじいさんの占いが流行ってるの。知ってた?」
「へえ、そりゃ面白いな」
 女の情報網は貴重だ。俺は、多数の女子と“大人の付き合い”をもっている。ただ情報を得て、利用するためだ。そのためなら何でもする。俺は非情な人間だ。
 その相手がみんな美人だというのは……その色香で、周囲を惑わしやすいからかもしれない。
「あいつは、また、美人と関係を持ったぞ」と。単なるプレイボーイの火遊びだと思わせておく。その間に、重要な秘密を続々入手していくための、軽薄な見せかけに過ぎない。女は道具として使う――ただそれだけのことだ。

 カァン、カァン、と、終業の鐘が鳴り響いた。タイムリミット。俺は軽やかに、走り出した。
「じゃ、霧香。またな」
「待って」
 突然、背中に重いものがぶつかってきた。女の体だ。胴にはやわらかな胸と、細い両腕がきつく巻きついている。背中ごしの、彼女の声が、俺の体を震わせた。
「どうして、ひとりでいつも行ってしまうの?」
 何とかしようと振り返る。彼女は、頬を背中に押しつけたまま言った。
「私、あなたが好きよ」
 俺は頭が真っ白になった。どこか別の世界へ行ってしまったみたいだ。俺は――

 何も感じなかった。

 ああ、冷たい。冷たいな、俺の血は。人の心が、遠い――
 俺は美麗な笑顔を型どって、言った。
「ゴメンな。また会おう」
 力ない、彼女の腕を振り払って。俺は掻き消えるように、屋上から姿をくらました。      

 実際、俺は急いでいた。いつもの場所に、行かなきゃいけない。少し時間が遅れてしまった。あの人は待っていてくれるだろうか。
 俺は屋根を超え、森を超え、風のように駆けて、いつもの放課後の教室にたどり着いた。
 英会話教室の襖戸をひらくと、外の日本庭園から、水の流れる音が涼やかに響いてくる。大校舎の離れにあるこの日本家屋は、放課後にはほとんど人が足を踏み入れることがない。連なった大部屋はひっそりとして、差し込む茜日があたたかい。
 高下駄を脱いで、やわらかい畳の上を歩いていくと、その先に、明るい金髪をまぶしく輝かせて座る、1人の外国人女性が待っていた。胸が高鳴る。彼女は他の“女”とはちがう存在だった。
「Hi,Yuya」
 彼女の深い青緑の瞳が、俺をとらえて細められた。
 ジェシカ・ウィンストン。英会話の教師として、4月から西武校にやってきた。24歳の、イギリス系アメリカ人だ。伸びた背筋に、細長い手足が優雅に組まれている。
「……Hi」
 彼女とは英語で話す。俺がそうしてくれと望んだからだ。
 俺たちはこのところ毎日、この放課後の教室で会っていた。
『遅かったのね。今日はどうする?』
『ごめん、レディを待たせて……こんな時、英国紳士なら何て言うの?』
 彼女は低い声で笑う。いつも気品をそこなわない人だった。

 俺が、彼女に個別で英会話を教えてもらうようになったのは、着任のあいさつが終わって早々、職員室に会いに行ったからだ。
 それまでも、ひとりで英会話の勉強はしていた。将来外国と渡り合うためにも、英語は必須だと思っていたからだ。けれど、何分話せる相手がいない。英会話教室へ通おうにも親には反対された。独学である程度勉強したが、本当に合っているのか不安だった。
 知識に飢えた俺に、英語の本場からやってきたジェシカ・ウィンストン先生は、救世主のような存在だった。それまでは、日本人のエセ英会話教師にしか巡り会うことができなかったのだから。
 俺は彼女の知識に、教養に、会話力に飛びついた。俺の渇望していた外国の知識を、その身に宿している存在に、どうしようもなく心が震えた。
「俺を弟子にしてください!」
 そう叫んだ時は、職員室中が静まり返った。でも彼女は穏やかに、『何か理由がありそうね』と笑った。
 それからは、毎日少しの時間をとってもらって、放課後はこの英会話室に入り浸っている。英語を使いながら、外国のことや、互いの故郷のこと、学校の行事や、クラスメイトのことなど、色んな話をした。
『熱心なのね』と言われて、ちがう、と思った。
 俺は、あなたと話したいんだ。
 俺は彼女に会いたくて、毎日ここに来ている。俺は彼女が好きなんだ。
 だからこそ、わかったことがある。今日はそれを、ぶつけてみる覚悟で来たのだ。

『ジェシカ……』
『どうしたの? 裕也』
『俺のこと、どう思う?』
『そうね……かわいい、私の一番弟子よ』
 ふと、怒りにかられた。急に、裏切られたような気持ちになって、ジェシカを睨みつけた。
『かわいいって何だよ! 俺だって男だ。俺じゃ、あんたのナイトにもなれないってことか?』
 応えるジェシカの声は、ただの少しも揺らがなかった。
『あなたは、私のナイトじゃないわ。あなたはシノビよ。そうでしょう?』
 まるで子供扱いされている。握り締めた拳が、小さく震えだした。
「なんでなんだよ」
 ああ、そうか。そうなんだな。
「なんで俺じゃだめなんだ?」
 俺にも人間らしい感情が、まだ残っていたんだ……。
『ごめんなさい。私は……あなたの気持ちには応えられないわ』
 彼女の声はとても静かに、冷たく響いた。これまで多くの女性たちを切り捨ててきた報いだろうか。
 握り締めた拳は、皮膚を破いて血がにじみ、噴火前の火山のごとく震えていた。もう限界だった。
 思いをふりきるように、俺はジェシカをまっすぐ見つめて言った。
『先生も、忍びなんじゃないですか』
『え……、何を言ってるの、裕也』
 初めて、ジェシカの顔に動揺が広がった。こう切り返されるとは、思いもしなかったのだろう。そうさ、俺は騎士じゃない。忍びなのだ。
『校長室でこんな書類を見つけたんだ』
 彼女の目の前に、1枚の書類を広げた。そこに貼ってあるのは、ジェシカの証明写真。そして、経歴が列挙されていた。その中には、米国中央情報局――CIA捜査官の文字が、丁寧な筆記体で書かれていた。
『米国のスパイですよね。ジェシカ……ウィンストン先生』
 そう、俺は彼女を好きになった。その一挙手一投足の、無駄のない機敏な動きや、静かな足音、隙のない目配りを、ずっと見てきた。
 だからわかったんだ。彼女も、忍びだ。
 英語教師として西日本の高校に入り込んでいる、米国のスパイ。非常勤で教師の顔をするその裏で、諜報活動に暗躍している。その立場上、他人を必要以上に踏み込ませることは許されない。
 じゃあなぜ俺を寄せつけてくれたんだ。忍びを志す俺と、何か通じ合えるものがあったからじゃないのか。
 俺は彼女の考えや価値観に、親近感を感じていた。もしかしたら、俺の金の髪――外国の血に、彼女と近いものを感じていたのかもしれない。ジェシカだって少しは俺を、愛しんで見てくれたんじゃないのか。
『裕也!』
 突然、ジェシカはぐんと床を蹴って、俺の体を机に押し倒した。
 顎に冷たい鉄の棒が、ガチャリと突き立てられた。小型の――ピストルだ。
 俺は動くことができなかった。CIAの顔をした彼女の、俊敏な動きを目の当たりにしたからではない。ジェシカの深い青緑色の瞳が、身を切るような哀しさに、揺らいでいるように見えたからだった。
『それ以上言ったら……私はあなたを抹殺しなければならないわ』
 筋肉質な細い体を押しつけられて、彼女の鼓動を、間近に感じた。
『それでも俺は……あなたが好きだ』
 ジェシカは瞬時に身を離して、開け放たれた窓枠の上に跳んだ。
 その目はもう感情を映さず、冷たく輝いていた。
『誰かに言えばすぐ殺すわ。いつも……見ているから』
 銃口を俺の胸に向けたまま、窓の外の林へ、姿を消した。
 その日依頼、ジェシカと放課後の教室で会うことはなくなった。

                                ―第1話・完―
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